山水電気、ブランド名「サンスイ」がJBLの日本総代理店になってから、JBLは急速に日本の市場に出回りはじめます。山水電気はもともとトランスのメーカーでしたが、トリオ、パイオニアと並んで「オーディオ御三家」と呼ばれる有力メーカーでした。
まず売れたのは、1971年に発売したスタジオモニター4320です。4320は一時、日本のレコーディング・スタジオのモニターを独占しました。1台約40万円、当時としてはそうとう高価だったにもかかわらず、一般のオーディオファンも購入しました。オーディオ雑誌もJBL一色になり、この頃から日本のJBL神話がはじまりました。もっとも人気があったのは1976年に発売したスタジオモニター4343でした。1台の価格は56万。ペアなら110万円を超えます。高さが1メートルを超えるこのスピーカーが、日本で飛ぶように売れたました。
JBLにとっても、日本は大きな市場だったようです。サンスイの技術者だった人が、JBLがフェライト磁石に変更した当時のことを、自身のサイトに記しています。
「JBL技術陣の最大目的は、JBL4343の最大評価者である瀬川冬樹さんに納得してもらう」「瀬川さん宅に夜間訪問して、瀬川さんお使いの4343のウーファユニットを外し、新型フェライトマグネット採用のユニットを取りつけて、瀬川さんに聴 いて貰った」
瀬川さん、とはオーディオ評論家の故・瀬川冬樹です。
ちょうど、フェライト磁石に移行したころから、JBLは日本で売れなくなっていきます。日本は「オーディオ不況」の時代に入り、オーディオメーカー各社が販売低迷に苦しみます。2012年に山水電気は破産します。その前にJBLとの代理店契約は終わっていました。JBLの販売は、JBLを傘下に置く「ハーマン・インターナショナル」の手に移っていました。
サンスイのアンプはJBLを鳴らすように設計されている、という説がありました。実際にサンスイのアンプ「AU−907」などをJBLとセットで買うオーディオ・ファンが多かったのです。現在でも、JBLにはサンスイのアンプがもっとも合う、という声は残っています。
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