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JBLの『美』生んだ若いデザイナーたち

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日本にJBLが入ってきたとき、日本人はその音と性能に驚きましたが、もうひとつ魅了されたのが、デザインでした。たとえば2301です。それまで日本の録音スタジオに置かれていたモニターは、三菱、ビクターといった日本製か、アメリカのアルテック社製のものでした。どちらも、いかにも放送施設の一部といった形で、デザインとはほど遠い無骨なものでした。それらに比べると、2301のデザインは別次元のものと言っていいほど、スマートで新鮮だったのです。

 

一般ユーザーの目にも、JBLの製品はそのデザインから、それまでのオーディオ製品とは決定的に何かが違うもの、と見えたのです。それがJBL人気をさらに高めました。

 

あの「パラゴン」をデザインしたのは、カリフォルニア大学で舞台美術を学んだ、20代のアーノルド・ウォルフでした。「パラゴン」の成功でウォルフはJBLのデザインの責任者になり、以後のJBL製品のデザインの責任者となります。見てすぐにわかる、JBL独特のデザインは彼が創ったものでした。アーノルド・ウォルフはのちにJBLの社長に就任しています。

 

「!」が付いたJBLのロゴマークをデザインしたのは、やはり20代のグラフィックデザイナー、ジェローム・グールドでしたが、このロゴを採用したのはウォルフです。

 

「パラゴン」に先立つ「ハーツフィールド」をデザインしたのは、まだ20代のロバート・ハーツフィールドでした。彼ら若いデザイナーを抜擢して大役を任せたのは、ジェームス・B・ラッシングのあとを継いだ社長、ウイリアム・H・トーマスです。製品に、「オリンパス」「パラゴン」といった、オーディオとは関係がない商品名を付けはじめたのもトーマスでした。

 

創業からしばらくのあいだは、JBLは小規模な会社でした。今で言う若いベンチャー企業です。現在はオーディオメーカーがインダストリアル・デザイナーを利用するのは当たり前ですが、1950年代にはそういう考えはありませんでした。JBLがその先駆けだったのですが、ベンチャー企業だったからこそ可能な発想でした。


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