1953年にJBLが日本に輸入された記録があります。その年に開かれた「第2回オーディオフェア」に、JBLのスピーカーシステム「ハーツフィールド」が出品されました。アメリカでこのスピーカーシステムが発売されたのは1953年ですから、その年のうちに日本で紹介されたことになります。

 

輸入したのは「河村電気研究所」でした。東京の新宿にあった「河村電気研究所」は、無線通信やラジオ製作マニアのたまり場でした。その所長は1950年代のはじめ、専門誌の『無線と実験』に「とにかく、ものすごく精密で高感度なスピーカーができた」と、JBLのスピーカーユニット、D130を紹介しています。

 

「ハーツフィールド」はアメリカで730ドルという価格で販売されていました。当時の為替レートで日本円に換算すると26万円ほどです。それに関税や諸費用を加えたうえ、現在の物価に置き換えれば200万円くらいでしょう。これが売れたかどうかは不明です。

 

音響のプロの世界ではJBLの名はすでに知られていました。1962年に発売されたJBLの最初のモニターススピーカーシステム、C50SM数台が、放送局かスタジオによって輸入されています。

 

日本ではじめて一般向けのオーディオ装置、当時の言葉で「ステレオ」が発売されたのは1958年です。早くも1960年代には今に残る日本のオーディオメーカーは顔をそろえています。

 

JBLはマニアのあいだでも噂になっていましたが、一般には手の届かないものでした。1965年にブランド名を「サンスイ」とした山水電気がJBLの日本総代理店になりました。大手のメーカーを押さえて山水電気が代理店になることができたのは、「サンスイ」のアンプのデモンストレーションで、JBLのスピーカーを使用してきた実績があったからと言われています。

 

まず輸入したのは「パラゴン」「オリンパス」「ランサー・シリーズ」でした。その後、JBLのスピーカーユニットのLE8Tを国内でキャビネットに組み込んだ「SP−LE8T」を発売します。多くの日本人がJBLの音を体験したのは、このLE8Tでした。