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1人の天才がJBLの音を作った。《JBLの歴史 その1》

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JBLという社名は、創業者であるひとりの天才技術者のイニシャルからとられています。その男の名はジェームズ・バロウ・ランシングです。   ランシングは炭鉱技術者の子供として1902年に生まれています。14人兄弟の9番目の子供でした。子供の頃から電気の技術に興味を持ち、小学生の時に自作の機械から大出力の電波を飛ばして警察騒ぎになったことがあります。   20代の前半、ソルトレークシティのラジオ局の技術者として働きますが、ここでのちに共同経営者となった人間と知り合っています。2人でラジオ用のスピーカーの開発を始めました。25歳でロサンジェルスに移り『ランシング・マニファクチャリングカンパニー』という会社を興します。   ところがアメリカは大恐慌に突入します。ラジオのスピーカーが売れるような時代ではなくなってしまったのです。しかしそれに代わる仕事が舞い込んできました。この時代、映画は無声映画から、声、音楽をなど伴ったトーキー映画に進化していました。映画会社は劇場用の音響装置の開発を始めたのです。ランシングの会社はMGMと契約をしました。この時代に開発した2wayのスピーカー「アイコニック」は、のちのJBLの劇場用スピーカーばかりでなく,モニター・スピーカーの原型になったとされています。   当時、映画の音響装置ではウエスタン・エレクトリック社の独占状態でした。その技術部門が独立して『アルテック・サービス・コーポレーション』となります。後の音響製品メーカーで、JBLのライバルとなった『ALTEC』アルテックの前身です。ランシングの才能に目をつけたアルテック社はランシングの会社を買収して、ランシングを副社長として迎えます。社名も『アルテック・ランシング・コーポレーション』としました。   ランシングが加入したアルテックは次々と新製品を送り出し、その中に、劇場用の名機として今に名を残す「ボイス・オブ・シアター」がありました。しかしランシングはアルテック社には5年いただけで退社してしまいます。理由は分かっていません。ランシングはふたたび自分の会社をおこします。『ジェームズ・B・ランシング』という自分の名前そのままの会社です。これこそが現在に続くJBLの始まりです。
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